エルサレムの人々は

「ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。しかし、民衆は彼らを称賛していた。」(使徒言行録5章13節)

2日の聖書を読み祈る会で取り上げる箇所ですが、「ほかの者」「あえて」「仲間に加わる」「民衆」が何を意味しているのか、その理解・解釈が意外と難しいですね。ギリシャ語原文は以下のとおりです。

τῶν δε λοιπῶν οὐδεις  ἐτόλμα κολλᾶσθαι αὐτοις, ἀλλ  ἐμεγάλυνεν αὐτους  ὁ  λαός.

このギリシャ語表記は細部まで正しいわけではありません。申し訳ありません。ギリシャ語に詳しい方にはお分かりになるかと思います。長くなりますが、続きをお読みください。

新改訳聖書は、「ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。」と訳しています。12節に記されているソロモンの回廊に入いる者たちを尊敬していたけれども、この交わりに加わろうとしなかった人々がいたという理解です。ほかの者とは民衆のことでしょうか、あるいは、キリスト者の中の一群の人々のことでしょうか。いずれにしても、同じ立場に立つ人々です。その人々はソロモンの回廊に入った者たちを尊敬しつつも、何か躊躇する思いがあり、彼らに加わろうとはしなかった、という理解のようです。新共同訳が「あえて」と訳している ἐτόλμα(τολμαω) に躊躇というニュアンスを読み取っているのだと思います。

フランシスコ会訳は、「ほかの人々はだれ一人、あえてその交わりに入ろうとはしなかったが、民は彼らを称賛するばかりでなく」と訳し、14節の「仲間に加わった」に結びつけています。「ほかの人々」については、使徒たちに反感をもっているエルサレムの長老たちのことを指すと注釈を加えています。そして、「あえて」に強い意志を読み取っています。ドン・ボスコ訳も同様です。

口語訳は、「ほかの者たちは、だれひとり、その交わりに入ろうとはしなかったが、民衆は彼らを尊敬していた。」と訳しています。「ほかの者たち」と「民衆」を区別している点ではフランシスコ会訳と同様です。しかし、解釈の余地を残しています。新共同訳聖書も同様で、永井訳は、ここでも語彙に忠実に、「されど其餘の者は一人も敢て彼らに結び附かざりき、されど民は彼らを崇めたり。」と訳しています。

わたしの解釈です。ここでは、エルサレムの長老たちは顔を出してはおらず、キリスト者のことでもなく、使徒たちやキリスト者の交わりを目の前にして、5章11節の「恐れた」人々を受けて、使徒たちとその交わりを尊敬しているエルサレムの一般民衆のことが取り上げられているという理解です。しかし、尊敬しつつも、あえて、その交わりに入らない一群の人々(「ほかの者たち、其餘の者」)もいたということではないかと考えています。直前のアナニアとサフィラの出来事に対するエルサレムの人々の反応に多様な姿が見られたという理解です。

恐れ、尊敬すべきこととは何か。そのことはここでは宿題となっているように思われます。現代のキリスト者や教会を取り巻く人々の中にもアナニアとサフィラの物語に対する解釈や反応に違いがありますね。宿題は継続しています。

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