賛美歌あれこれ2 表記と意味について

2/26の週報4面からです

原恵氏は「(書名)『讃美歌』という言葉は、明治7年に最初の賛美歌集が出た年から、すでに使われていた。当初は『さんびのうた』または『たたえうた』と訓じた。また、『聖歌』という言葉も、明治10年代中期から使われ始めていて、その意味内容には事実上、ほとんど区別がないといってよい。各教団・教派の伝統的習慣で使ってきたものが、今日もそのまま使われてきた」と書いておられます(「賛美歌その歴史と背景」1980、日本基督教団出版局)。

残念ながら、なぜ「讃」であったのかという説明はありませんが、おそらく、当時はそれが通常の用語であって、今は当用漢字には無いので、書名以外は「賛美歌」と表記するということなのかも知れません。

英語のhymn(ヒム)はラテン語のhymnus(教会式ラテン語ではイムヌス)あるいはギリシャ語ύμνος(ヒュムノス)の訳と思われます。ドイツ語のKirchengesank(教会歌)もほぼ同じ意味で使われているようです。しかし、これは広義でして、狭義では19世紀以降に創作された英国賛美歌English hymnを指すようです。また、カトリック教会では、やはり狭義でグレゴリオ聖歌で歌われるhymnus(礼拝式の中で役割を担う賛美歌の一つの種類)を指すようです。

この週報の礼拝式順序では、書名の「讃美歌」を用いています。多くの教会はそうしていると思います。

ところで、「賛美」の言語的意味ですが、ホメホムルという意で古くから使われていたようです。同じような言葉に「称賛」また「礼賛」がありますが、前者は行為や行為の成果がすばらしいものであるとたたえること、後者は仏教語で功徳を賛嘆することを意味するようですが、賛美はき偉大なもの、もしくは神聖なものとしてたたえることと説明されます。ことに、賛美の「美」はキリスト教の伝統では神の真善美を表現する言葉でもありますので、神を讃えることを賛美と言い表しているとも言えましょう。

文筆家の大塚野百合さんがフランチェスコの「太陽の賛歌」(讃美歌75番)を取り上げて、「自然の美に対する繊細な感受性は、当時としては珍しもので、彼は中世の終わりに自然を発見した人物であると評されています。けれども、大事な点は、彼が自然そのものの美を賛美したのではなく、それが創造者である神の美を現していることを高らかに歌ったことです。」と記し、その賛美の原点とも言うべきものについて、「自分の心の貧しさを本当に感じたこと」と述べておられます。そして、フランチェスコの言葉を紹介しています。『神は、地上に、わたしほど卑しい被造物はないとお知りになった。だからこそ、この私をお選びになって、この世の高貴さ、強さ、美しさ、賢さを混乱させようとなさったのだ。』