永井訳「新契約聖書」 (3/19週報4面より)

いつか丁寧にご紹介したいと思っていたのですが、今日は、名訳と評される永井直治訳―個人訳の新約聖書-「新契約聖書」をご紹介します。

訳者は1890年(明治23)に明治学院神学部を卒業後すぐに日本基督教会浅草教会の牧師となった方です。1859年が宣教師渡来による日本伝道開始、プロテスタントの教会が設立されていくのが1870年代ですから、永井はまだ生まれたばかりの教会が生み出した牧師のお一人でした。

20年以上にわたりギリシャ語研究を行い、新約聖書翻訳に取り組んで、1928年(昭和3)に本書が出版されました。翻訳のための原本としたのはFスクリブナーによる1872年版ギリシャ語本文です。これは、本文研究の原点とも言える1550年のロベルト・ステハヌス版の流れを汲むもので、当時、もっとも権威のあるギリシャ語本文の一つです。

初版の序文で内村鑑三は「君は日本人として聖書の日本化の最初の試みを為したのである」と記していますが、英訳聖書・漢訳聖書・和訳聖書の影響を受けずに、単独でギリシャ語原典からのみ翻訳し、その特徴は可能な限り、有りのままの直訳に徹していることです。永井は「マタイはマタイらしく、マルコはマルコらしくなり、少しは原の香を聞くことを得るものと信じました。また解釈の自由あらしめんためには、釈義を用いて意訳することを避けました。」と小引に記しておられます。

まさにその通りで、例えばマタイ25章35節に「旅をしていたときに宿を貸し」(新共同訳聖書)とありますが、永井は原語を生かして「われ旅人なりしに汝等われを連れ入れ」としています。原語のとおりに「旅人なりし」とすることで「自ら旅をしていた」とも「彷徨える(あるいは離散の)旅人であった」ともとれるように訳しています。「連れ入れ」も原語スナゴー(スン「共に、一緒に」+アゴー「導く、持ってくる」)という文字であることを示しており、「宿を貸す」(当時のことですから歓待するという意味です)というだけではなく、スナゴーゲー(シナゴグ「会堂」「キリスト者の集い<ヤコブ書2章2節>」)に「一緒に集う」あるいは「召集する」「密接に結び合わせる」という連想へと導きます。このように、意味を無理に限定せず、文章の重層(重奏)性や彩に気付かせてくれています。

優れた直訳であるゆえに味わうことができる楽しさが、この他にもいろいろと、永井訳にはあります。名訳とされている所以だと思います。聖書研究に関心のある方は、ぜひ一冊お持ちになるようにお薦めいたします。