桜の舞とステファノの言葉

12日の聖書を読み学ぶ会はH姉宅で行いました。桜が綺麗に咲いていました。

使徒言行録7章44-45節を取り上げました。訴えられたステファノが最高法院で語りました。意味深長な言葉で注意深く味わう必要があります。桜の花びらが舞いながら散るような絢爛美があります。一つのことだけご紹介します。

新共同訳はこう訳しています。

「わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。」

幕屋が「証しの幕屋」と呼ばれています。十戒の板を納めている契約の箱(「掟の(証しの)箱」)が置かれていたからです。興味深いことですが、「証し」はキリスト教会の宣教を言いあらわしています(使徒2章40節,4章33節)、ステファノは教会こそ、まことの幕屋であると語っているようです。

そこで45節ですが、ヨシュア(イエスと同じ名、イエスはヨシュアという名です)をイエス・キリスト(その証しとしての言葉、宣教の言葉)と重ねて、永井訳はこう訳しています。ステファノの言葉の彩を捕らえていると思います。

「我等の先祖等はそれを受け継ぎ、神が我等の先祖等の顔の前より、逐い出だし給ひし国人の〔地を〕領有するに際し、イエスと共に携え入りて、ダビデの日までに及べり。」

ちなみに、証しという語は、殉教を連想させてもいます。