あらためて、黙想の勧め

聖書黙想(以下「もくそう」とは聖書が語りかけてくるのを待ちつ
つ、聖霊の働きに身を委ね、聖書テキストを読み、思いめぐらす
ことです。つまり、心に届けられる言葉を待ちつつ聖書テキスト
の言葉の世界を歩き回ります。

黙想によって、神様の恵みを新たに、あるいはあらためて教えら
れ、受け止められるようになり、神への感謝、キリストを讃め称
える言葉、人を愛し、人生を受け止め直す思いや、祈りが心に生
じます。あるいは、他の人が残した名言、讃美歌の歌詞などが思
い浮かぶかもしれません。つまり聖書の言葉と共に信仰を培って
くれる言葉が与えられます。
もしかしたら、それらが詩や歌として、牧師であれば説教の言葉
として発露することでしょう。発露した言葉が精錬されると、教
会の内に、また外でも共有されることになりましょう。
黙想を重ねてその果実を味わい分かち合うよになることを信じ、
願っています。

1、釈義と黙想
聖書黙想について理解していただくために、聖書研究とのちがい
についてお話しします。「釈義と黙想」の違いです。
聖書研究と言われていることは、概ね聖書テキストが何を伝えよ
うとしているのかを理解し、受け取ることだと思います。
つまり書かれていること、その意味をなるべく正しく確定し(テキスト
の意味を限定していきます)、理解します。「読む」あるいは
「釈義」と言い表すこともあります。

釈義には下記のような切り口があり、一般に取り組まれていま
す。
・語義的釈義
テキストで用いられている語の意味を確定し、テキストを理解し
ます。
・歴史的釈義
テキストをその成立時の文脈に基づいて、理解します。
・神学的・霊的釈義
教会の歴史においてテキストがどのように理解されて来たか、教
会の教え(教理)との関連でテキストを受け取ります。また、霊
的・信仰的な勧告を読み取ります。
私は語義の詮索を大切にしいと考えています。

2.あらためて黙想とは
上記の釈義、つまり聖書テキストをできる限り正しく理解し、読
み取ったうえで、あるいは、読み取りつつ、黙想が始まります。
テキストが黙想を触発してくれることもあります。

黙想はテキストの行間を読み取るというか、テキストから思いを
広げていきます。つまりテキストの中に神の御心と自分とを探し
たずねてテキストに思いを集めます。教会のことや、家族、隣人、
自分の仕事や様々な奉仕のこと、社会の有り様についても思いは
広がります。

黙想をとおして、神についての思いが深められ、キリストを仰ぎ
みることへと導かれ、隣人と自分とを愛することを新しく教えら
れ、神への讃美と祈りへと導かれるることでしょう。(黙想がほん
の短い時間で達成されると期待してはいけません。聖書テキスト
が記憶されると、黙想は生涯にわたって続くことでしょう。聖霊
によりテキストが語り続けてくれます。)

3,共同の黙想
教会で黙想を分かち合いましょう。時間的な制約もあり、容易で
はありませんが、聖書テキストを真ん中に置いて、一緒に覗き込
み、聖書テキストを巡る会話。コミュニケーションが豊かになさ
れることになれば教会の交わりが祝福されると共に、伝道の言葉
や証しが生み出され、教会から福音の調べが響き渡ることでしょ
う。
この共同の黙想は礼拝から始まっているとも言えましょう。ま
た、説教者への良き助けにも、すなわち、説教者の説教準備にお
ける黙想をゆたかなものとし、説教の言葉をよりよく整えるため
の助けになることでしょう。

黙想に親しむようにと願っています。