φέρω「運ぶ」は「結ぶ」

「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。(ヨハネ福音書2章8節)

カナの婚礼の記事の中に、母マリアの懇願に応えてイエスは召使いに6つの石の水がめに、水を満たして世話役のところに持っていきなさい(運んでいきなさい)」とお命じになり、召使いは運んで行った(持って行った)とあります。その時、水はぶどう酒に変わっていたのでした。

テキストと黙想・説教を記しました。水が葡萄酒にをご覧下さい。プチ黙想もあります。

不思議な話ですが、水がぶどう酒に変わると言うことは身じかにないことではありません。ぶどうの木は地中から水分を吸収して実をならせます。枝にたわわに実ったぶどうからぶどう酒が作られます。ぶどうの木によって水がぶどう酒になると言えましょう。

そんなことを考えながら調べていくと、水いっぱいの石の水がめが運ばれていったのですが、その「運ぶ」φερωという語は「結ぶ」という意味もあり、ヨハネ15章に「(実を)結ぶ」とイエスが言われた言葉に用いられていることを知りました。

イエスの言葉に従って召使いたちが運んだ水がめの水は実を結んでぶどう酒となったのでした。

そういえば、中風の人をイエスがお癒しになったという記事で、4人のお男の人がその人を運んできましたが、その「運んで来た」もφερωが用いられています。

関連するプチ黙想もどうぞ。