神の義とは(5月13日の週報4面です)

先週に引き続き、今年度の教会方針に関連して、ご説明します。

聖書が語る神の「義」(旧約聖書のヘブル語ではツェダーカー、新約聖書のギリシャ語ではディカイオス)の意味するところを一言で説明することは不可能です。それは聖書全体を貫いて証しされる神のまこと、神ご自身の在りようだからです。

あえて、大胆に「ふさわしさ」「ふさわしくあること」と言い換えたいと思います。そうすることができると思います。神が神ご自身との関係において、また、神が被造物(私たち)との関係において示される「ふさわしさ」「ふさわしくあること」それが義です。

余談ですが漢字の「義」という文字は祭儀において屠られる羊を意味しているようです。捧げものですね。そこではふさわしいものが捧げられ、ふさわしいありようが生じると信じられていました。聖書は神の愛する独り子が十字架においてご自身を神に献げて罪人である私たちの贖い(救い)となってくださったと語っています。それは神の義、神がふさわしくあることであったと言うのです。まことに驚くべきことです。ですから義は「愛」と置き換えられることもあります。

そして、神はその義によって私たちを義とし、つまり聖霊によって私たちが喜んでそのことを受け入れ、私たちを神との関係においてふさわしいものとし、私たちが私たちの間においても、互いにふさわしくあるようしてくださるのです。

主イエスは「神の義」を求めなさいと仰せになり、神がそのことを喜んでくださるとお教えくださいます。