洗礼式があります

7月15日の主日礼拝で洗礼式を執り行いますので、洗礼に関することを書きます。


洗礼はイエス・キリストに結ばれてその死と復活にあずかります。ローマの信徒への手紙6章4節に「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。」とあるとおりです。
これに関連して、次週の説教で取り上げるつもりですが、高倉徳太郎という先生が「深い生命」という説教の中に残しておられる言葉をご紹介いたします。「聖なる神の前に自己をかえりみ、罪を悔いる心にも深さはやどります。・・・ともすれば、私たちの魂は、水に浮かぶひさごのように、沈めても沈めてもぽかりぽかりと浮き上がります。傲慢だから、浮き上がるのです。自分がぐっと浮かび上がってくるのです。・・・ただ神の前に、自己の姿をまともに見つめて、心より懺悔する人は、深く沈んでついに神にまで上り行く人です。・・・十字架のキリストを黙して待つ。上から命の水はしたたり落ちて、必ずわがうちに、淵をなします。自分が自分を掘るのではありません。キリストが自分のうちに深き命を掘って下さるのであります。罪人の中に、罪の深さの中に、それにもまさる恵みの深さを掘り出して下さるのであります。」
主イエス・キリストの父なる神をあがめ、聖霊の祝福を祈りましょう。