教会で使うべき道具 最終稿のはずでした

超高齢化社会、教会員の高齢化の時代です、タブレットを活用しましょう。

高齢者の方々にタブレットに慣れていただきたいと身近なところで普及活動を始めました。もちろん、インターネットに繋げてです。
2017年4月に脳出血を発症し、左半身麻痺(障害者)となりました。このような境遇になって、タブレットとインターネットの有難さに気付かされました。入院当初から今日にいたるまで外の世界や社会的な繋がりがタブレットによって保たれていると言っても過言ではありません。FacebookやTwitterで世界中のいたるところにいる友人・知人たちと繋がることができています。本も読みますが体力的に長時間続けることは困難です。私は怠惰ですから、もしもタブレットがなかったらテレビを観るだけの生活になっていたことでしょう。そうそう、タブレットで読むことができる本が多数ありますし、Twitterで興味深い書物に関する情報を得てはその内容に触れ、読みたくなるとネットを介して注文して届けてもらいます。昨年は、久世濃子著「オランウータン」、國分功一郎著「中動態の世界」、伊藤亜紗著「どもる体」、同「目に見えない人は世界をどのように見ているか」、その絵本版であるヨシタケシンノスケ作「みえるとかみえないとか」、ジョージ・ボージャス著「移民の政治経済学」などを、身体の不自由を抱えながらも意欲を駆り立てられて楽しく興味深く読みました。そして読書感想をブログやFacebookで紹介もしました。
病気になる以前から、牧会・伝道のためにHPとブログ、そしてSNSを組み合わせて用いてきましたが、病後はその用い方に力を入れるようになっています。ことに、キリストに招かれた者たちの教会ならではの交わり、つまり、聖書の言葉を囲んで交わすユーモアを含む楽しい会話をSNSを介してできるようになったら良いなあと願っています。それにはTwitterが適していると感じています。

タブレットの用い方は色々ありそうです。画像や音声や動画も組み込めます。使ってみることで新たな用途を発見できるでしょう。私は一昨年の退院以来iPadを使っています。すいません商品名を出してしまいました。使い道が幅広く、私には使いやすいからです。身体が不自由なので持ち運ぶことはできませんが、パソコンとは違って家の中の要所要所に置いておくことができます。机の上に、リビング、ベッドサイド、ベッドの頭上等です。それで無理なく時を選ばず使っています。私のような者には無くてならない道具です。この環境がなければ、この原稿を書くことはできなかったでしょう。
そんなことで、あれやこれやと考えながらお年寄りにタブレットを勧めているのです。
最後に一言付け加えさせてください。タブレットを使いこなせば、高齢者も途切れることなく教会の交わりに連なり、伝道の一翼を担うことができます。時間があれば、その話で盛り上がりたいのですが、、、
★これを最終稿にするつもりでしたがやめました。結局1月13日投稿の「推敲しました」にいたしました。