ヤコブ書1章2〜4節のまとめ(その2)

残っているのは4節です。第2回のまとめ(その2)となります。

前回の投稿→ヤコブ書1章2〜4のまとめ(その1)

以下は新共同訳聖書の翻訳です。

あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。

永井直治訳「新契約聖書」です。

されば汝等の完く且つ圓(つぶら)にして、少しも缺くるところなき者たらんために、耐え忍びをして完く働かしめよ。

新共同訳聖書の翻訳は歯切れが良くて魅力的と感じるかも知れませんが、ヤコブ書の細やかな語り口調を捉え損ねているように思われます。

そのことについては徐々に触れていくことになりますが、一言だけあらかじめ申し上げます。4節には、堅忍不抜で勝利の凱旋の先頭に立つように、というような響きはありません。

ここでも永井訳を参照しつつ、原文の語順を辿ります。

①耐え忍びをして完く働かしめよη δε υπομονή εργον τέλειον έχετε,
②されば、あるいは〜ためにίνα
③ 汝等〜者たらんητε
④完くτέλειοι
⑤且つ圓(つぶら)にしてκαι ολόκληροι
⑥少しも缺くるところなきέν μηδενί λείπουμοι.

となります。②から⑥は細かく区切りました。

①ですが、動詞はεχω(エコー、持つ・保つ)の命令法εχετεエケテです。常に、いつもそうであるようにということです。何を保つのか?忍耐です。その忍耐が「働いて完成をもたらすεργον(エルゴン)」と説明されています。
この忍耐は状態を表す名詞で「下にとどまり続けること」です。そして、
3節には

「[これ]汝等の信仰の 験(ためし)は、耐え忍を醸すことを知ればなり。」

とありました。
ですから忍耐の出所は「験(ためし)δοκιμιονドキミオン」です。つまり、4節で何を保つようにと勧められているか、そのことは験(ためし)まで遡って理解されなければなりません。とすると私たちの行動や努力が第一のこととして取り上げられているのではなく、私たちの行動を超えた何事かであり、しかも私たちのうちに引き起こされている何事かについて、その消息が語られているということになりましょう。

験(ためし)δοκιμίων に一切がかかっており、その動向に焦点があてられています。

②以下はそれを保つことで、あるいはそれが保たれることによって引き起こされる喜ばしい事態が告げられ、励ましとなっています。

③完きと④且つ圓(つぶら)と⑤欠けたるところ一つもなくと綴られています。

③の「完き」τέλειοι (テレイオイ)は形容詞で、名詞はτελος(テロス)です。直前の①に 「完成をもたらす忍耐」とありました。懇切に語が重ねられています。
私たちのうちに引き起こされ、始まった何かがその目標(終わりτέλος)に至るというのです。

④の「圓(つぶら)に」は新共同訳聖書では「申し分なく」と訳していますがολοκληροςホロクレーロスという語です。この語はは二つの単語で組み立てられています。ολοςホロス(英語でwholeあるいはall)とκληροςクレーロス(英語でbreak)です。壊す、砕かれることを内に含んでいます。砕かれるという経験が伴って申し分ないものとされる、という含みを持っています。

⑤「欠けたところ一つもなく」は「何一つ取り残されることのない状態において」です

「欠けλειπομενοι」については、5節に引き継がれて言及されています。

最後にもう一度3節の「試されること」(新共同訳」「験(ためし)」(永井訳)と訳されているδοκιμιον ドキミオンについて改めて取り上げます。この語はすでに見てきたように出発点となっており重要な事を表現しています。それが何かはまだ定かではありません。ヤコブ書を読み進めていくうちに理解できるに違いありません。ただ一言申し上げます。この語はこの箇所の他には新約聖書ではペトロの手紙一1章7節に用いられています。そこだけですが、「δεικνυω見せる(マタイ4-8)」に由来しているようです。2節の「試練」に対面して何事かを見る、何かが顕となるということです。

何を見るのでしょう。「あなたがたの信仰」、信仰が立ち現れることになるということでしょうか。ペテロの手紙一では、それによって「(信仰は)本物と証明され」と綴られています。

さまざまな試練の中で験δοκιμιον を受け止めて、その消息を味わい知るように、と勧められています。