兄弟を得る

水曜日の聖書黙想と祈る会ではこのところマタイ福音書18章と19章を取り上げてきました。Twitter上での模擬共同黙想でも同じところが取り上げられて、ゆったりとお付き合いができるので、テキストに編まれての会話が佳境に入っています。

事細かにご紹介できませんが、おおよそ下記のような展開になっています。

18章15節に「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。」とあり、赦しをめぐって19章に至るまで譬え話も含めてイエス様のお言葉が続いています。18節には「はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」ともあり、天上(神の国)との関連で私たちの身近な人間関係に目が向けられます。近いが故に経験する人間関係の難しさが「頑固」(19章18節)という語で浮き彫りにされて、聖書を読みながら恥ずかしい思いになるのですが、「恵まれている」との主のお言葉と18章の譬えで示唆される神さまの大きな赦しに思いが向けられて、地上の歩みが神の国を待ちつつ歩む旅路とされていることに気づかされます。

「兄弟を得る」とは主にあって結ばれる新たな関係、大きな赦しのもとに共に立つ友情と友人を得るということでありましょう。古い友との関係においても、頑固がぶつかり合う夫婦関係においても、それを得ることになると主は仰ってくださっているのだと思います。

19章のはじめは離婚について取り上げられているのですが、たとい離婚することがあっても兄弟を得るために、ということでありましょう。