躓かず、疑わず、怒らない。ヤコブ書にも関連して。

先週の聖書箇所にも、今週の箇所にも「躓く」あるいは「躓かない」という言葉が出てきました。
この言葉は、よく耳にするスキャンダルという英語の語源にあたるギリシャ語で、動詞はスカンダリゾー、名詞はスカンダロンです。「腹をたてる」というのが元々の意味です。
道を歩いていて、思いがけないところに石ころがあって、それに気づかずにつまずきます。すると誰がこんなところに石を置いたのか、と言って腹を立てます。小さな子どもであれば怒ってその石を投げ捨てることでしょう。そして、その石が誰かにあたってしまう。するとその人も、腹を立てて怒り出します。その怒りをどこにぶつけるというのででしょうか。闇雲に、周囲に怒りをぶつける。そんなことを時々目にします。時々というよりも、昨今の社会の姿になってしまっている、そんな感じがしないでもありません。そうでなければ幸いです。
自戒を込めて申しますが、自分は他の人に躓きを与えているに違いないのに、テレビのワイドショーで、他の人のちょっとしたスキャンダルでも見聞きすると、腹を立てて怒りを抑えられないそんなことがあります。そして、時には、その鬱憤をはらさずにはおれないとばかりに声高に物申すというありさまです。ヤコブ書1章6節に「疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。」とあります。疑うとは神に躓いて自分の思うようにいかないと腹を立てているということだと思います。そのような人は風に吹かれて揺れ動く海の波に似ているというのです。元の言葉は海が膨れ上がる、打ちつける、荒れ狂うという語です。疑う人はそのようだというのです。面白い表現だなあと思いました。
今日は「躓かない」という説教題です。主のお言葉に聞きましょう。