分析美学の方法論に倣ってみたらどうだろう

分析美学について説明する分かりやすい文章をTwitterを通して知り、読むことができました。教会と教会の事柄について深く捉えるために、その手法が役に立ちそうなので、読書レポートのようで申しわけありませんが、ご紹介いたします。

※少しづつ書き足していくことを、ご容赦ください。

分析美学とは、分析哲学の美学的な事柄をあつかう一分野だそうです。つまり、分析哲学の手法を用いて美学的な問題をあつかう学問です。

それでは美学とは何か。それは、<美しいもの>や<面白いもの>などを見てとるときに働く「感性」について考える学問だそうです。

また、分析哲学とは何か。定義は難しいようですが、一応こう定義されています。「分析哲学とは、20世紀初頭に生まれた哲学の一動向である。初期は主に概念や言語使用の分析を行う学問として発展してきたが、今では認識論や科学哲学などと結びつきつつ、主題、手法ともに多様化している。」

定義をすることが難しいのは分析美学も同様のようですが、スタイルと価値観については共通理解があるようです。

その一つ重要なことについて、次のように書かれています。

「分析美学の歴史を見ると、こうした理論構築の作業が実に協働的に進められてきたことがわかる。論争に参加するものは皆、ある目標を共有し、その目標に向かって少しでも理論を前進させようとして努力してきた(注15)。「あの大先生のおっしゃられていた(難解な)芸術論は、つまるところどのような主張だったのか」と皆が頭を悩ませることは少なく、むしろ、提案されていた既存の理論の問題を少しでも解決し、より良い理論を目指して議論を前進させることが重視された(注16)。」

つまり、分析系哲学者たちは、「論争を通じての理論の前進」をとても重視すると言うことのようです。そして、次のように記されています。「もちろん、学問を評価するための評価軸は様々ありうるが、分析系の哲学はその中でも、「より良い論争を行うこと」にとりわけ高い優先順位を与えるのだ。」と。

そして、分析哲学的な論述スタイルの特徴がいくつか挙げられています。

1、できるだけ誤解を避け、明確な書き方をする。「主張のポイントがはっきりと述べられ、あわせてその主張の意図や狙いはどこにあるのか、既存の問題系にどう資するのか、といった点が明示化される。またそのさい、その主張を導くための論証の流れもできるだけ明示され、論証を支える前提や根拠もはっきりと示される。」

関連して、「理解を妨げる無駄な比喩や修辞はできるだけ避けるべきだし、大陸系哲学によく見られる「同じ語の使用を避けて、できるだけ言い換えましょう」といった論述スタイルも、分析哲学ではほとんど共有されていない。権威に依る論証や誇張、対人論法を避ける(注17)、意味のない見栄は張らない、といったその他の基本的な執筆スタイルも、すべてこの「より良い論争をする」という価値観に支えられている。」と。

2、論争は基本的に論文ペースで進められる。

こう書かれています。「例外もあるが、多くの論争は著作単位ではなく論文単位で進められる。ある主張が出ると、すぐさま反論論文が書かれ、また再応答が出る。こうして人気のあるトピックとなると、数年のうちに何十本もの論文が書かれることになる。哲学史では、大哲学者が二つ、三つ批判的なやり取りをしただけで「論争」と呼ばれたりすることもあるが、現代のジャーナル文化における論争は、規模が全く違うのだ。」

この論争重視の姿勢を良く表しているのが、多くの学術雑誌に「ディスカッション」のコーナーが設けられている点だ」と言う。そして、ディスカッション・コーナーでは、ある論者による批判とその批判への応答が並べて載せられる(批判も応答もたいてい分量は短い)。この風習は、論争のスピードを高めるとともに、ポイントを絞った議論の前進を可能にしている。もちろん、こうした質の高い論争が、厳しい査読システムに支えられていることは言うまでもない、のだそうです。

3、相手の意見に寄り添った上で批判する。

無駄な当てこすりをしないで、しっかりと誠意ある戦いをするということです。そして、分析哲学系の学会は、ワイワイと賑やかなそうです。

最後に著者のまとめとして、記されている最後の項目を全文掲載して、ご紹介を閉じたいと思います。

4.(分析)美学の「面白さ」と、(分析)美学を学ぶメリット

業界事情の話はそろそろやめて、分析美学という学問そのものの魅力についても述べておこう。私にとって分析美学は、何よりも「事象ベースで美学的なトピックを考える」という楽しさを教えてくれた。

たとえば私は現在、「芸術的価値」をテーマに研究を進めているが、そこでの問いは「芸術的価値は何によって決まる(決まってきた)のか」「誰が査定するのか」「どうやってその価値は知覚されるのか」などと、「人名抜き」で成立するような問いだ(こうした問題のひとつひとつについて、どういう立場がある(ありうる)かを整理し、各立場の主張を吟味し、その前提や根拠を検証していく、これが研究の基本作業だ)。

分析美学は、「まずカントを読もう」「まずはプラトンを読もう」ところにスタートラインを置くのではなく、「何故これがアートなの?」「音楽作品って結局何なの?」「何故こんなに不道徳な作品が評価されてるの?」といった素朴な疑問から議論をスタートさせる。これは初学者にとっては入りやすく、かつ魅力的な入り口だし、哲学を専門としない人にとってはむしろこういう入り口のほうが入りやすいだろう。

教師としても、分析美学の議論が翻訳で読めるようになったというのは、非常にありがたい。「美学に興味があるんです」という学生が出てきたときに、「そうかー、じゃあプラトン『国家』、アリストテレス『詩学』からはじめてカント『判断力批判』、ヘーゲル『美学講義』、あたりを読んでいこうか」と返す必要はもはやない。

哲学者ごとではなく、トピックごとに議論を進める分析美学の文献を利用すれば、「フィクションに興味があるならまずはこの論文とそれに応答するこの文献とこの文献を読みなよ」「自然美について興味があるならこれを」と、トピックごとに文献を紹介することができる。大哲学者の文章を解読するのではなく、興味あるテーマに沿って論争の進展を追うことの楽しさ(注24)。分析美学の楽しさはまさにここにある(注25)。

また、議論されている問いがキャッチーであるというのも、分析美学の良い所だ。「芸術の価値は何で決まるの?」「小説やマンガを読むときに作者のことを考える必要があるの?」といった素朴な問いについては、哲学に関心が無い人でも一度は考えたことがあるのではないだろうか。分析美学は、「世界は存在するのか」「善悪はどのようにして決定されるのか」といった哲学的・倫理学的にハードな問題を考えるのとはまた別の角度から、哲学的思考の楽しさを伝えてくれる。

このように、芸術や文化といった日常に近い話題について素朴に哲学する道を示したというのは、分析美学が日本の思想状況にもたらしたひとつの成果だろう。とはいえ、こうした「分析美学の面白さ」のようにみるものは、あくまで先に述べた業界事情のせいでそのように見えてしまっているだけで、これらはそもそも「分析美学の面白さ」ではなく「美学の面白さ」であったはずだ。

というのも、美学とはそもそも、「感性や文化について語っている人の文献を解釈する学問」ではなく、「感性や文化について考える学問」なのだから。その意味で、近年日本で盛り上がってきたのは、分析美学ではなく美学そのものだともいえる。芸術や文化について直接思考し議論することの楽しさが、ここにきてようやく広まってきたのかもしれない。

最後に、分析美学に限らず、美学・芸術哲学全般に当てはまる話として、美学を学ぶことのメリットをひとつ述べておこう。美学や芸術哲学というのは、議論の中に「趣味」や「好み」が入り込みやすい、というよりも、入り込まざるを得ない領域だ。そういう領域で議論する場合、どこからどこまでが論争可能な領域で、どこから先が「好み」の問題なのか、その線引きをできるだけ明確にしつつ話を進めていかなければならない。「それって好き好きでしょ」とならないために、議論に工夫が必要なのだ。

この、「主張の種類や、主張の及ぶ範囲に配慮しつつ議論を進める」というスキルを鍛えることは、コミュニケーションスキルを鍛える上で非常に有用だ。人の話をきちんと聞いて、相手の言わんとすることを理解し、どこまで同意できてどこに反論できるか、どうしたら話が前進していくかといったことを、相手と一緒に考えていくこと。また、自分の好みを成り立たせているのは何かを真摯に見つめ、しかも、自分とは好みが違うひとが存在することを常に念頭に置いて話を進めること。

こうしたスキルは、哲学的スキルというよりも、もはやどの分野の人にも求められる対話の基本スキルであるが、そうしたスキルを磨くには、美学という、感性と論理が交差する領域は、とてもよい修行の場になる。哲学系の学生のみならず、美大、芸大の実作系の学生たちにも、美学の議論態度からは大いに学んで欲しい(注26)。

美学という学問は、日常生活と結びつけやすい学問だ。真摯に学べば、人生が豊かになることは間違いない――とはいえこのメリットも、たいていの学問に当てはまるようなものでしかないのだが。

以上です。ほとんどが引用ですが、引用できなかった部分も多々ありますから、元の文章をぜひお読みください。

分析美学ってどういう学問なんですか――日本の若手美学者からの現状報告