定義をしていこう、と思う

秋に福音主義教会連合総会が開かれます。その「総会を前に」と題された文章が複数の執筆者によって書かれて機関紙に掲載されています。

そのことの関連で、少し長くなりますが私見を述べさせていただきます。

浜松元城教会は1969年にはじまった教団紛争に対しては一貫して東海教区のありようを支持し、従来の教会理解と宣教論を堅持し、教団の正常化のために祈りを合わせてきました。教会的福音的立場を貫いてきたわけです。

同じような立場に立ちつつ、私は1985年から福音主義教会連合に加わり、教団改革と取り組んできました。その運動を正常化ではなく教団改革と表現するのは、教団紛争を指導した人々(造反と呼ばれる人々です)の非教会的、非福音的な思想によって教団の有り様が破壊され、歪められてしまっていたからです。改革という語は「み言葉によってたえず改革される教会」に由来しています。
その意味では浜松元城教会は福音主義教会連合には加盟していませんが、改革勢力であったし、あり続けていると言えましょう。東海教区も同様です、教団改革の一翼を力強く担ってきました。

教団紛争による危機的な状況からはすでに脱していますが、影響は今も色濃く残っていて、聖餐問題や宣教論において不一致や混乱が見られます。また、教会員の高齢化と伝道の困難に伴う教勢の低下により、教団教会の存続も危ぶまれるという状況に立ち至っています。加えて至る所にほころびが見られるようになりました。

さて、教会連合機関紙上に掲載された「総会を前に」の一文には「(秋の総会は)教会連合創立以来の大きな分岐点に立たされることになる。これまで取り組んできた教団改革の歩みを総点検し包括的抜本的視点からの反省と自己評価をせねばならぬ状況に立たされているからである。」とあり、その原因について丁寧に言及して、「『教団改革は失敗した』という現状認識に立つべきであると筆者は考えている」と記されています。

私はこの方の認識を共有します。言葉を変えると、教団改革の今は、改革が頓挫しかねない状況にあり、それは「内実のないものになり本来的改革の見通しも立たなくなった」という認識です。

なんだか情けないことを書いて申し訳ないのですが、私はこのような認識に立つべきであると考えています。そうでなければ教団改革のさらなる進展はあり得ないと考えるからです。

そこで、しかし上記の一文に対して私は別の視点から考えることがあります。そのことをここに記したいと思います。ふぅ〜、前置きが長くなってしまいました。

別の視点と申しましたが、別の言い方をしたいということです。それは改革の失敗の原因を一言で下記のように言えるのではないか、ということです。

それは、こうです。「改革運動はより良く『定義』することができず、共有されなかった。つまり頓挫しそうになっている」ということです
『定義』という語は誤解されやすいのですが、辞書的には「ある概念内容・語義や処理手続をはっきりと定めること。それを述べたもの。」あるいは「定義するとは、一般にコミュニケーションを円滑に行うために、ある言葉の正確な意味や用法について、人々の間で共通認識を抱くために行われる作業。 一般的にそれは「○○とは・・・・・である」という言い換えの形で行われる。 基本的に定義が決められる場合は1つである。 複数の場合、矛盾が生じるからである。」と説明されます。

しかし、教会のように生きた信仰の集団の事柄については、この語を使うのは相応しくないと思われるのではないかと思います。なぜなら、定義すると事柄を限定し、固定化してしまい、かつ不十分なものとならざるを得ないという疑念が持たれるからです。その通りだと思うのです。

しかし、定義されなければ事柄は共有されません。定義を怠ると、まとまりを得ません。

教団改革にあてはめると、実は十分に「教団改革」という事柄が定義されてこなかったのではないか。わかったつもりで教団改革と言ってきたけれども、実は曖昧なままで、共有されず、個々にバラバラな認識のもとに、運動が展開され、結局、実を結ぶには至らないでいるということではないか、と思うのです。

もちろん、なんらかの定義がなされれば良いということではありません。どのような定義も十全とは言えないでありましょう。ことに教会に関わる事柄についてはそうです。
ですから「み言葉にによって常に改革される教会」と言われるわけです。人間の定めた定義が固定化されではなりません。

それではどうすれば良いのでしょう。それは、常に十全な定義を求めて、定義することに取り組むということです。再定義ということとは違います。最近、キリスト教の再定義という言い方で、聖書の再解釈を提案している方がおられますが、それは断片的で片寄った聖書の解釈を示して、従来のキリスト教とは趣の異なることを言おうとしているに過ぎません。
私の申し上げたいことはより十全な定義を求め続けるということです。その求め続ける作業・取り組みを共有し合うということです。それは包括的抜本的な視点からの取り組みということができます。果てしない永続的な課題と言えましょう。この定義するという営みが共有されているところに、コミュニティーが形成されます。

教団改革は教会を定義し続けることである、と言えましょう。そうであれば、壁にはぶつかることがあっても、事柄は継続されます。
どのようにして定義し続けるという営みが共有されうるのか、これも重大な課題であり、定義するという作業のうちに含まれるテーマでもありますが、別の機会に私見を述べさせていただきたいと思いますし、御一緒に考えていただきたいと願っています。


追記1、教団改革とは

ここで言う「教団改革」とは、1969年に始まったいわゆる造反勢力による教団支配と教団紛争に対抗し教団の公同性を回復しようとする運動のことである。
これを「教団正常化」と言うことも出来るが、そう表現せずに教団改革と呼ぶのは、ただ単に紛争状態の沈静化を目指すのではなくて、公同的な教会としての自覚を鮮明にして教会改革運動として取り組まれてきたからである。これが福音主義教会連合の基本的な運動理念「教団改革」であった。あったはずである。

言うまでもないことであるが、1941年に日本におけるプロテスタント諸教派の合同によって成立した日本キリスト教団は、第二次世界大戦終結後に、合同教会としての実質、すなわち、公同教会としての自覚に基づく自家の「信仰と職制」の確立に取り組み、「信仰告白」と「教憲・教規」を制定し、「讃美歌」「式文」を発行して礼拝式の充実と一致を謀り、宣教論の一致と諸教会・関係諸団体との宣教協力に取り組んできた。その間、教憲・教規の部分的な改訂もなされている。これらは広義の教団改革でありその歩みであったと言えよう。

しかし、その歩みは1969年に始まった教団紛争によって中断され、「捉え直し」を合言葉に教団の「信仰と職制」の意味と位置付けとが乱され、公同教会としての自覚が不鮮明となって教団は混迷することとなった。その混乱と混迷を受けてここで言う狭義の「教団改革」が改革運動として生起したのである。


追記2、公同の教会とは、教団改革運動との関連で

先に、教団改革を定義し、福音主義教会連合が取り組んできた教団改革運動を「公同の教会としての自覚を鮮明にして(の)教会改革運動」であったと述べた。それは「まことにして一つなる教会」と教団改革運動を表現していることに表れている。
そこで「公同の」あるいは教会の「公同性」とは何かということが、ここでのテーマとなる。

「公同の教会」とは、使徒信条に告白されている「聖なる公同の教会」のことで、その意味するところは神の派遣による地域や時代をつらぬいて存在する一なるまことの教会ということである。
これを「見えない教会」と表現することもあるように、まことで一つの制度的あるいは非制度的な(見える)教会が存在するというわけではなく、歴史上のいかなる教会や教派も自分たちだけが一なるまことの教会であると独占的に主張し得るはずがないことを意味している。ましてや諸教会の連合や同盟を指しているのでもない。そうではなくて、「聖なる公同の教会を信ず」と言い表して、自らはその交わりの中にあることを鮮明にしようとするのである。

その交わりにあるという自覚は、使徒信条をはじめ基本信条に告白されている父と子と聖霊である三一への信仰の告白とともに言い表される。すなわち、父により、子と聖霊によって派遣されている「聖なる公同の教会の交わり」の中にあるとの感謝と喜びの表明となるのである。それは父と子と聖霊の交わりに招かれた感謝と喜びである。

さて、見える教会は見えない教会(公同の教会)の交わりに連なっていることをより鮮明に自覚しつつ自家の信仰と職制を整える。そして神礼拝にあずかり、つまり福音宣教へと遣わされることによって、歴史的な存在として神の招きに応えているのである。

今、福音宣教へと遣わされていると述べたが、それは公同教会の交わりは福音によるということを意味している。福音こそ父と子と聖霊の交わりへの招きであり、公同教会のあり様、公同性と言えよう。