毛利稔勝訳/ハイム・ラビン「ヘブライ語小史」

訳者・毛利稔勝(としかつ)さんは2008年にイスラエルの病院で亡くなりました。78歳でした。その死後に、生前交流のあった者たちが彼の残した翻訳論文を一冊の小冊子にまとめました。東京神学大学時代の同級生で現在教文館の社長をしている渡部満くんがその労の多くを負い、「あとがき」をヘブライ思想の著名な専門家・池田裕氏が書いておられます。

その小冊子には、メヘナム・ハラン「ヘブライ語による聖書研究ーその特色と傾向についてー」と今回紹介する「ヘブライ語小史」の二つが納められています。両著者とも毛利さんのヘブライ大学における恩師です。

「ヘブライ語小史」について著者は本書の記述方法について、「さまざまな時代におけるヘブライ語とユダヤ人との間のきずなや関係を概略し、ユダヤ人の社会生活における変化がこの言語の使用と性格に与えた影響、およびそれがさまざまな状況のもとで生きる人々のために果たした役割が何であったかを知ることに努め」と記しています。そのような論文です。

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棚村重行著「二つの福音は波濤を越えて」を読む

3月の西静分区一泊教師会に棚村重行、惠子両先生をお招きして勉強会をします。そのために重行氏の著書「二つの福音は波濤を越えて」を、昨日、一気に読みました。

日本におけるプロテスタント教会の最初の歴史を、英米のものを含む膨大な資料を読み解いて、再構成しようとするもので、従来、私たちが常識と考えていたものとはいささか違って、複雑な経過をたどっていたことを明らかにしています。書名がそのことを示しています。たいへん興味深いことでした。

私個人としては、近代人の主体性と結びつくアルミニウス主義の、その多様性を丁寧に追いかけておられるところに興味を持ちました。17世紀オランダに端を発する古典的アルミニウス主義、18世紀ウエスレーが代表する伝道的(福音的)な穏健アルミニウス主義、そして、19世紀日本に大きな影響を与えた改革・長老派の伝統の中に生じた急進的なアルミニウス主義(今日、教団の中にある改革長老グループはこれとは違います)、それが明快に論じられていました。近代という時代を受けとめて表現されたキリスト教教理思想です。宗教改革に基づく伝統的なキリスト教理解との相克、それが、日本の教会の歴史に深く刻印されているようです。

この本を土台に、棚村先生のその後の研究にお聞きし、今日のキリスト教会のあり方に光を見いだすことができればと願っています。

クラーナハ展に行ってきました

クラーナハ展が1月15日まで上野の国立西洋美術館で行われています。一般の日本人には馴染みの薄い画家ですが非常に多くの作品を残しています。北ドイツのルネサンスを代表する画家の一人でマルチン・ルターと深い関係があり、今年、宗教改革500年を迎えることもあって日本ではじめて開催されることになったようです。
先日、東京に行く用事があり、そのついでに観てきました。ルターと彼の僚友メランヒトン、またルターの宗教改革を後押ししたザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒの肖像画もありました。私は下の2枚の絵が印象深く残りました。左は「アダムとイブ」、右は「幼子を礼拝するヨハネ」です。細部は違いますが、クラーナハは同じような構図で何枚も残しています。今回は偶然なのか、あるいは意図的なのか分かりませんが、ヨハネ(洗礼者ヨハネ)がリンゴを幼子に渡している絵が来ていました。禁断の実は人間の罪を象徴しています。アダムとイブが食べた、その実をヨハネは主イエスに渡し、幼子はそれを受け取っています。これは、十字架を暗示していると言われています。
ついでのことですが、今回の展示には美しく女性を描いたもの、また、誘惑をテーマにしたものが多くありました。(1月8日週報4面より)

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サンタクロース

ある教会幼稚園でクリスマスの礼拝と祝会がありました。いつものようにサンタクロースの登場です。

主任の先生がサンタさんを歓迎して、子どもたちも大喝采です。ところが・・・先生が「お太りになりましたね」と思わず叫んだのでした。サンタさんの衣装が小さく見えたようです。

サンタさんは心の中で「去年と変わらないんだけどな」と呟きながら、「はい。トナカイのお世話で忙しくしているんだけど、良く食べるので太ってしまうんだね。」と答えたのでした。子どもたちは「へえ、そ、そうなんだ」という顔をしていました。そして、サンタさんのお話がはじまりました。

ピーテル・ブリューゲル(1525-1569)の作品「ベツレヘムの人口調査」

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この絵は表題がなければ、何を描いているのか全く見当がつきません。画家が住まうフランドル地方の寒村の一風景、質素な人々の日常の暮らしぶりのように思われます。しかし、実は、その見当のつかないというのが、画家の狙いであったと言われています。
なるほどクリスマスを迎えるであろう極寒の季節ではあるが、人口調査という表題に関係することと言えば、左端の集会所のような所におおぜいの人が登録のために集まっているのがみられるだけです。それは、見る者の目がうっかり見過ごしそうなところに配置されています。
しかも、中央下のやや右寄りに、ろばに乗り大きなマントで身を覆ったマリアと、その前に年老いて背中をまるめたヨセフとが描かれていて、彼ら二人に目をくれる者は画面には一人もいません。
二人が「ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上っていった」ことはおよそ人々に気づかれない普通のことでしかなかった。その普通の風景の中に、しかし、救い主誕生の知らせを描くことによって、画家はクリスマスの出来事を迎え入れている。そう思われます。

11月27日週報4面より

長老会神学大学校

お訪ねしています。いまは、ナグネ宣教師の授業に出ています。日本の神学が主題で、難しい話を講義しています。

学生はノートパソコンやタブレットで講義内容を打ち込んでいます。授業の時間は3時間。大変なものです。教室には学生が120名ほどです。

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棚村先生ご夫妻をお招きして

来年3月4-7日に東京神学大学名誉教授の棚村重行先生と、奥様で東京女子大学講師の惠子先生を浜松にお迎えします。西静分区・教師会が浜北教会と袋井教会、そして、浜松元城教会の協力を得て招請いたします。この投稿の最後におおよその予定をご紹介しておりますので、ご覧下さい。

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神の御心は、連鎖か、それを断ち切る赦しか

聖書を読み祈る会での使徒言行録の学びの一旦です。11月16日は5章28-32を学びました。使徒たちは捕らえられ最高法院に引き出されましたが、その時の尋問と弁明、そのやりとりが面白いと思いました。

大祭司は問いました。「あの男の流した血の責任を我々に負わせようとしている。」。

ペトロは答えました。「神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。」

多くの説明を必要としますが、ここでは省略します。要点は、「血の責任を・・負わせる」(永井訳は「血を・・帰せしめる」)と「木につけて殺す」とは、ともに罪に定めて「呪う」という意味を含んでいます。

そして、神の御心をどのように受け取るべきかが、焦点となっています。

つまり、大祭司たちは、イエスを罪に定めて呪って殺したことを神の御心と確信しており、使徒たちはその自分たちを呪っており、それが神の御心であると宣伝している。けしからんことだ、と言っています。。

それに対して、ペトロは、神の御心は罪に定めて呪うことではなく、あなたがたが呪って木にかけたイエスをとおしてイスラエルを、すなわち、あなたがたを、また私たちを、救うということだと答えています。

一方は呪いの連鎖に陥っており、他方はその連鎖を断ち切る赦しに開かれています。

ちなみに、原文は、以下のとおりです。

καὶ βούλεσθε ἐπαγαγεῖν ἐφ᾽ ἡμᾶς τὸ αἷμα τοῦ ἀνθρώπου τούτου. (Act 5:28 BYZ)

Ὁ θεὸς τῶν πατέρων ἡμῶν ἤγειρεν Ἰησοῦν, ὃν ὑμεῖς διεχειρίσασθε, κρεμάσαντες ἐπὶ ξύλου.Τοῦτον ὁ θεὸς ἀρχηγὸν καὶ σωτῆρα ὕψωσεν τῇ δεξιᾷ αὐτοῦ, δοῦναι μετάνοιαν τῷ Ἰσραὴλ καὶ ἄφεσιν ἁμαρτιῶν. ( (Act 5:30 ,31 BYZ)