「好意を」or「恵みを」?

使徒言行録4章33節bを新共同訳聖書は「皆、人々から非常に好意を持たれていた。」と翻訳しています。ドン・ボスコ訳や、フランシスコ会訳も同様です。ちなみに元の文章は以下のとおりです。

χάρις  τε  μεγάλη  ἦν  ἐπὶ πάντας  αὐτούς.

口語訳と新改訳はχαρις を「好意」ではなく「恵み」と理解して、「大きな恵がそのすべての者の上にあった。」(新改訳)と翻訳しています。人々から好意を持たれたというのではなくて、きっと好意をもたれていたことでしょうが、使徒たちや信者たちの上に大きな恵があったと理解しています。

ちなみに、永井訳は33節から34節にかけて次のように訳しています。「また使徒等は大いなる力をもて、主イエスの甦りの証しを立てたれば、大いなる恵彼等すべての上にありき。そは彼等のうちには一人の乏しき者もなかりければなり。・・・」この翻訳が素晴らしいと私は思います。事柄の関連が素直に訳出されています。

予感

いつものことなのだが、週報にまちがいありでした。やっぱり。

次週予告の聖書箇所がルカによる福音書11章1−1節となっていました。正しくは1−4節なのです。次週の司式者のO姉が問い合わせてくださって判明しました。すでに礼拝のための準備を始めてくださっていたのでしょう。悩まれたでしょうね。1−1節などありえませんから。いやー、申し訳ないことでした。

この投稿のカテゴリーは「恥ずかしい話」ですが、たぶん、このカテゴリーがいちばん頻繁に登場することになると予感されます。

部屋の模様替え

牧師館は教会の裏、20台ほど入る駐車場(平日はお隣のK.K.鴻池に借りていただいています)の奥に、小道をはさんで建っています。私の部屋は二階、14畳ほどの広さです。教会に牧師室・事務所がないので執務室も兼ねています。

その自分の部屋ですが、先週からはじめた模様替えが、なかなか終わらないのです。机の配置はできましたが、物がまだきちっと整理できていません。机の上はもろもろの物が置かれており、それらを脇に追いやって、やっと座って作業をしているという状況です。

きっと、模様替えに終わりはないと思います。

10月19日は聖書を読み祈る会

使徒言行録4章32-37節を読み、学びます。その準備を今日(18日)、しました。まだ使徒言行録では聖霊降臨後の信者の集団を教会とは呼んでいませんが、そう呼ばれるようになるほんの少し前のことが書かれています。

「まとめ句」と呼ぶそうですが、使徒言行録の特徴的な記事です。信者の集団は必要に応じて持ち物を売り、代金を持ち寄って分け合い、皆の生活を支え合ったと書かれています。エルサレムでの生活の厳しさを感じさせられますが、貧しい人がひとりもいなかったというのは申命記に記されている約束の成就であるとのこと。貧しさの中に至福を感得することができたということでしょうか。

考えさせられます。