失われた動詞の態「中動態」

古典ギリシャ語(聖書のコイネーギリシャ語も同様ですが)には、動詞に能動態、受動態の他に一般に中動態と呼ばれている態がありました。(英語でmiddle voice)。能動でも受動でもない人間の動作の性格・有りようを表現します。

神学校でギリシャ語に触れ、今日まで聖書を読むために細々と学んできましたが、文法で中動態について納得のいく説明に出会ったことはありませんでした。謎の態でした。能動でも受動でもない、その中間という分けのわからない説明で自分を納得させていたのでした。

ところが、日本の新進気鋭の哲学者がこの中動態に関心を持ち、深く掘り下げて、言語を切り口に、近代の人間の思考や社会のあり方、文化についての「見直し」提言をなさっているのです。昨年世に出たその人の書物を知り、中動態につての関心を喚起させられました。

その本の紹介を少しずつこのブログでさせていただきながら、自分の頭を整理していきたいと考えています。

今のところ、漠然とした予感ですが、聖霊の働きに与る信仰についての表現(聖霊論的表現)を理解するために(聖書解釈に)重要な意味を持つだろうと思っています。ちなみに、今日(1月28日)の礼拝で読んでいただいた聖書の箇所に中動態が用いられていました。

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感謝

今日(28日)の礼拝説教は26分。立ってさせていただきました。退院後、最長でした。ありがたいことでしたが、緊張して足に力が入って疲労がたまり動けなくなるようなことにはなりませんでした。リラックスして余裕がありました。体力、持久力、安定した姿勢と適切なバランスが身に付いてきているのだと思います。感謝です。

聖餐式を執り行うにはもう少し、コンディションが向上しなければならないでしょう。そのようになることを祈り願っています。

ベテル・ホームでショートステイ

 16−18日、三方原の聖隷ベテル・ホームでショートステイをさせていただきました。ケア・マネージャーがショートステイをするならリハビリもしてもらえるベテル・ホームが良いですよとすすめて下さり、利用させていただくことになりました。家内の休養と私のリハビリを兼ねてのことでした。お陰さまで貴重な時間を過ごさせていただきました。

何よりも、所長のご親切な取り計らいで、こってりとリハビリを受けることができました。1日目は、入所した日の午後ですが2時間近く、ストレッチや器具による運動、階段の昇り降り、そして外に出ての歩行鍛錬を受けました。もちろん杖を持っての歩行ですが、傾斜のある道を今までで一番長い距離を歩くこととなりました。ハードでした。途中で脚が動かなくなり垣根のブロックに腰を下ろして休むと言う具合でした。次の日はスケジュールの都合で1時間ほどのリハビリで済みましたが、帰宅する日の朝、脚が筋肉痛になっていました。その他のことでは、私が近くにきているというのでホスピスでの朝礼拝の説教をするようにと依頼されて、急きょさせていただきました。これもリハビリの一環なのかと受け止めました。ありがたいことです。

 ちなみに、ベテル・ホームの「ベテル」は地名で旧約聖書28章に出てきます。「神の家」と言う意味です。ヤコブが石を枕に寝て、夢で天につながる梯子(階段)を天使たちが降り登りするのを見たと書かれています。心細く眠る夜、そこは神の家であったのでした。

「筋肉痛です」と訴えて同情を求めたのですが、医師から「よかったですね」「どんどんやって下さい」との優しい言葉をいただきました。時々、行かせていただくことになります。お許しください。

礼拝の前奏を

教会のホームページで説教を紹介するコーナーがありますが、昨年末から音声で聞いていただくようにしました、

http://mharita.com/s/

同時にその日の礼拝の前奏もお聞きいただけます。良い準備をしてオルガニストの方々が前奏を演奏して下さっています。改めて録音で聴かせていただくと、礼拝へと心を整えるのと同じような思いを与えられます。ぜひ、お聞きになってください。

なお、説教も前奏もマイクロソフト社のSwayというソフトを用いて、他の情報とともにセッティングしていますので、もしかしたら、少し動作が重いかもしれません。ご容赦ください。

2018年は、

個人ブログに書いたことを、ご紹介します。

2018年はという題でささやかな、しかし真剣な希望を書かせていただきました。←ここをクリックしてください。


補足の説明です。

私は脳出血という病になり、左半身麻痺となりました。リハビリのおかげで、杖を支えに少し歩くことができるようになり、退院して牧師館で生活、礼拝の説教もさせていただくようになりました。

しかし、体力の回復が思うようには進まず、また脳の働きも衰えました。(前からだ、という声が聞こえてきますが)正直なところ、実感しています。ことに説教準備が思うようにできません。教会員の皆様の助けが必要です。聖書黙想はその力強い助けとなると、確信しています。宜しくお願いいたします。

 

二つの礼拝を繋ぐことが

出来ないかと模索中です。

近くに無牧の教会があり、私たちの教会もお世話になりましたが、近隣の牧師先生がたが応援に出向いておられます。これは教会間の交わりにとって貴重なことだと思います。その貴重な交わりの機会をより幅広く共有出来ないだろうかというのが出発の動機です。

二つの礼拝をネットで繋ぎ、一つの礼拝を守るということです。

礼拝に限りません。講演会、聖書研究祈祷会、気軽な交わりの会などを場所は離れていても一緒に行えたら良いということです。

今は、スマホやタブレットの性能が飛躍的に向上しており、wi-fi環境も整ってきましたから身近な機材でできるかと想います。

「ヘブライ語小史」紹介第4章その2

第4章「聖書のヘブライ語」その2となります。少しづつ書き加えています。

ほんの少しづつしか前に進みませんが、いくつかの理由があります。

一つは、私の事情です。右手だけの作業であるということです。体力も不足しています。

二つは、ラビンの記述のややっこしさです。(アラム語や古典ヘブライ語、その祖語と周辺の言語についての知識と学問的議論が背景にあって書かれているからだと思います。)

リハビリの一環として、また個人的な勉強として「紹介」をブログに掲載して行こうと思っています。

News Letter を作成しようと奮闘中です。

GoodNewsLetter#2,これがさくせいちゅうのものです。良い素材があれば良いものが作れそうです。

GoodNewsLetter #2
映画「24の瞳」を監督した木下惠介さんは浜松の人です。市内に記念館があります。かつて銀行協会が使っていたという美しい洋風建築の中に設けられています。そこには氏の部屋が再現されており、書棚には愛読された多くの書物が並んでいます。その中には新約聖書も。
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