近況と今年の一つの抱負

昨年のクリスマス主日礼拝(23日)から年を越して昨日(3日)まで、葬儀があったり訪問したりと何かしらあったとは言え、特に忙しかったというわけではありませんが、今日の朝は疲れています。年末年始に姉(75歳)、娘(年齢不詳)、息子夫妻が来て滞在してくれたからでしょうか。嬉しい日々でしたが、多人数に慣れていなかったからでしょう。疲れました。
さて、今年の抱負というか、取り組みたいと思っていることの一つは、超高齢化社会を目前に、教会の比較的若いご老人がたをはじめ、皆さんにスマホとタブレットを用いてインターネットに馴染んでもらうための取り組みをしたいと思っています。
昨年の病と入院生活、その後、療養しつつ務めさせていただいているの日々の経験から、インターネットでの繋がりの重要なこと・その有用性に気づきました。ことに今年から無線wifiの5G回線が普及しはじめますので、有効活用の幅が大きく変化していくと思われます。
礼拝のliveと動画の配信はすでに試行錯誤中で取り組みはじめていますが、インターネット会議ならぬ集会の開催、プレゼンテーションアプリを用いてのチャット風または回覧風の聖書黙想会などが開催できたらと目論んでいます。
手始めに上手に情報共有ができるようにTwitterに慣れ親しんでいただこうかと考えています。
主イエス・キリストに招かれて繋がる交わりの豊かさが超高齢化時代にもますます広がって行くことを願っています。

聖書の言葉を囲む会話、その広がりを求めて

ツィッターtwitter に教会のアカウントを設けたことは先にご案内しました。アカウントは浜松元城教会(@motoshiro21614)です。

ツィートは「呟き」あるいは「ささやき」です。多くの人に、ことに女性に愛されている白百合という讃美歌がありますが、ご存知のように主イエス・キリストのご復活が記念され歌われています。「百合の花、百合の花ささやきぬ昔を」と繰り返して歌われますが、教会のtwitterではその「ささやき」に包まれて何かを呟くことができたら良いなと思っています。

事始めにシリーズ「ヤコブ書探索」ということで、ツィートを始めました。新約聖書のヤコブの手紙の大きな特徴は、翻訳では分かりずらいのですが、言葉の彩りの豊かさにあると言われます。たしかにそうだと思います。それで語句を眺めてみよう、少しでもその彩りに触れることができたらというのがシリーズ「ヤコブ書探索」です。果たして思惑通りに行くかどうか??

新年を迎えて次のようなツィートをしました。

使徒信条でクリスマスを想う

教会の壮年会(ダニエル会)と婦人会(エステル会)では例会の最初の数分を合同で行い、使徒信条を取り上げました。その関連で、ここに使徒信条の言葉をご紹介してクリスマスを記念することにいたします。

主は聖霊(せいれい)によりてやどり、
処女(おとめ)マリヤより生れ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

上記は使徒信条の第二項で、御子の降誕と生涯について語られている箇所です。神の独り子が人となってこの地上を歩まれたことが記憶されています。その誕生については「聖霊により」「処女マリヤより」と言葉が重ねられて、受肉の神秘を詠い、その地上の歩みについては「ポンテオ・ピラトのもとに苦しもを受け」と語られて、苦しみを担われた御生涯を詠っています。
ローマ皇帝により帝国の片隅ユダヤの総督として遣わされていた一官吏に過ぎないピラトは、たまたまイエスさまの裁判を担当したが故にその不名誉が後世にまで知られることになりました。ピラトもその一人ですがローマ帝国の支配のもとで翻弄されたありとあらゆる人々に結ばれて、苦しみを担ってくださった神の独り子イエスさまの御生涯が記憶されています。
使徒信条の言葉を心に留めて、御子イエス・キリストの御降誕を記念したいと思います。

twitterアカウントを設けました

教会の交わりとその交わりが広がるようにと願って、twitterに教会のアカウントを設けました。牧師がツィートを発信し、リツィートやダイレクトメッセージに対応します。

アカウントは浜松元城教会(@motoshiro21614)です。フォローをしてくださると有難いです。Twitterはスマホで便利に使うことができます。

おいおいTwitterとの付き合い方、教会の交わりのための用い方など、ご紹介させていただきたいと願っています。

教会員限定で礼拝や集会の様子をライブでお伝えしたり、交流したりすることなどが可能になります。

 

幸せでない人のクリスマス

Twitterを良く利用するようになりました。使い慣れてくると有用な、あるいは興味深い、また、愉快な情報に接することができるようになります。

さきほど目にしたツイートは二つで、まったく無関係な別々のツイートですが、私の頭の中では一つのイメージとなって重なってきました。

一つは現役時代の山口百恵さんの言葉を写真とともに紹介しているツイートです。その言葉というのは『クリスマスも正月も嫌いです。 幸せな人と、そうでない人が、ハッキリ見える季節だから。』です。

賑やかで艶やかだからでしょうか、その陰でハッキリ見える、と言われたのですね。

もう一つは、米国長老教会のこれも写真付きで『Blue Christmas: ’Tis the season — for depression. bit.ly/2E65LI0 #PCUSA』と書かれたツイートです。

後者はHPの記事を参照するようにと誘っています。読んでみると、米国長老教会では少なからずの教会が聖夜に夜通し a blue Christmasという礼拝を行うそうです。礼拝といっても教会の一室が(もしかしたら礼拝堂なのかもしれません)ロウソクの光だけでかすかに灯され、カロルが静かに流れ、時々、聖書が朗読されます。来会者は黙して時を過ごし、身を置くことができます。

翌日米国長老教会はツィーターで、D.ボンフェッファーの残した言葉を紹介していました。紹介します。
“The celebration of Advent is possible only to those troubled in soul, who know themselves to be poor and imperfect, and who look forward to something greater to come.”
– Dietrich Bonhoeffer
アドヴェントの祝いは魂に困難を抱えている人々にふさわしい。彼らは貧しく不完全であることを知り、そして、大いなる祝い、その到来へと向かう。

教会でだけ経験することができるクリスマスらしいクリスマス、幸せでない人が集うことができるクリスマスです。

 

喜びを重ねる日々

25日の降誕日を待ちつつアドベントを過ごしています。この時期には教会でも家庭でも街でもクリスマスの喜びを祝うための準備をします。

ツリーを飾ったり、イルミネーションを灯すお家もありましょう。私の家ではささやかな飾りつけの一つですが、リビングの壁にツリーのような形をしたスペースを作ってクリスマスカードをきれいに貼りつけていきます。すでに数枚のカードが貼られています。毎年、多くの方々がカードを下さいますが、届くたびに送り主のことを思い、クリスマスの喜びを覚えて、一枚一枚壁に貼り付けていくのです。クリスマスになりますと、小さなカードに託された喜びがたくさん飾られて、喜びが大きく壁いっぱいになります。

アドベントはこのように、大きな喜びを待ちつつ、一日一日、喜びを重ねつつ時を過ごしますが、それは御国を待ちつつ歩む、主にある私たちの日々の歩みそのものでもありましょう。

 

待つーLet it beあるがままにー

ビートルズを代表する曲の一つに「Let it beあるがままに」という曲があります。こんな話を聞いたことがあります。
 「Let it be」という言葉は主イエスの母マリアの「 Let it be to me according to your word.あなたのお言葉通りに、わたしの身に、そのままになりますように。」に由来しています。
 「苦しみや迷いの只中にいるときには 母マリアが現れて知恵ある言葉を掛けてくださる、『Let it be』と。暗闇に包まれているときにもマリアは私の目の前に現れて知恵ある言葉を掛けてくださる、『Let it be』と。雲に覆われた真っ暗な夜でも 私の上には光が射しこんで明日まで導いてくれる、『Let it be』。美しい調べに目が覚めると母マリアが現れて知恵ある言葉をかけてくださる、『Let it be』と。そう、いつか答えがわかる日が来る『Let it be』」
 この歌詞を書いたのはポール・マッカートニーです。ビートルズ最後のアルバムの中に納められています。
 メンバーの心はばらばらになってしまっていて、スタジオで曲を録音している最中にも言い争いが絶えなかったと言います。そんな夜、ポールは母親メアリー(マリアですね)の夢を見ました。母はポールが14歳の時に乳ガンで召されたそうです。ポールは母が語ってくれたイエスの母マリアの言葉を思いだし、現実を「あるがままに」受け止め、そして神の導きにゆだねて、新たな一歩を踏み出そうとします。
 教会とも聖書とも久しく離れていたポールが、母の夢をきっかけにして神を讃美する歌を書き上げたのでした。辛い現実を「あるがままに、Let it be」と受け止めること。そして神の導き、その時をを待つこと、それこそが、メンバーとのいさかいの中でポールに必要なことだったのかもしれません。

教会の暦

教会には独自の暦があります。それによると2018年は次週の主日25日が一年で最後の日曜日となり、12月2日(日)から待降節を迎えて、新しい年になります。

私たちの教会は教会の暦に緩やかに従う慣しになっています。日本キリスト教団の多くの教会は多少の強弱はありますが同様かと思います。

待降節(アドヴェント)に入るとクリスマスの季節になります。日本では商業優先で街々にはすでにクリスマスツリーが飾られていますが、欧米のように待降節になってから飾るのが本当です。

浜松元城教会も12月に入ってから飾り付けをいたします。

少年野球の思い出

姪の小学校5年生の次男が少年野球ののチームに入っていて、近々遠征して鎌ヶ谷球場で試合をするという話を聞きました。

私も小学校6年生の時に軟式野球をしていて当時住んでいた渋谷区の大会に出て優勝したことを思い出しました。第一回戦から勝ち進み、準々決勝は日曜日の午前中に設定されました。その日、母が日曜学校を休まないように、もしも休んで試合にいくなら「もううちの子ではない」と言って行かせてくれなかったのでした。

鬼のような顔でそう言われては行くわけにはいきません。日曜学校に出てから試合会場へと向かいましたが試合は終わっておりました。そのことを思い出したのでした。母は厳しかった。