ヤコブ書1章2〜4節のまとめ(その2)

残っているのは4節です。第2回のまとめ(その2)となります。

前回の投稿→ヤコブ書1章2〜4のまとめ(その1)

以下は新共同訳聖書の翻訳です。

あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。

永井直治訳「新契約聖書」です。

されば汝等の完く且つ圓(つぶら)にして、少しも缺くるところなき者たらんために、耐え忍びをして完く働かしめよ。

新共同訳聖書の翻訳は歯切れが良くて魅力的と感じるかも知れませんが、ヤコブ書の細やかな語り口調を捉え損ねているように思われます。

そのことについては徐々に触れていくことになりますが、一言だけあらかじめ申し上げます。4節には、堅忍不抜で勝利の凱旋の先頭に立つように、というような響きはありません。

ここでも永井訳を参照しつつ、原文の語順を辿ります。

①耐え忍びをして完く働かしめよη δε υπομονή εργον τέλειον έχετε,
②されば、あるいは〜ためにίνα
③ 汝等〜者たらんητε
④完くτέλειοι
⑤且つ圓(つぶら)にしてκαι ολόκληροι
⑥少しも缺くるところなきέν μηδενί λείπουμοι.

となります。②から⑥は細かく区切りました。

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慌てて書いた、申し訳ない原稿です

社会福祉法人十字の園の軽費老人ホーム・アドナイ館から隔月発行されている「アドナイ刊」の澪つくしというコラム記事に載せていただく文章です。
締め切りを失念しており、慌てて書きました。この一年間担当させていただいたのですが、執筆者は最終稿まで伏せるということになっており、公表を差し控えてきました。今回が最終なので、ここにご紹介します。
慌てて書いたもので、中途半端な本の紹介になってしまいました。ごめんなさい。

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教会で使うべき道具 最終稿のはずでした

超高齢化社会、教会員の高齢化の時代です、タブレットを活用しましょう。

高齢者の方々にタブレットに慣れていただきたいと身近なところで普及活動を始めました。もちろん、インターネットに繋げてです。
2017年4月に脳出血を発症し、左半身麻痺(障害者)となりました。このような境遇になって、タブレットとインターネットの有難さに気付かされました。入院当初から今日にいたるまで外の世界や社会的な繋がりがタブレットによって保たれていると言っても過言ではありません。FacebookやTwitterで世界中のいたるところにいる友人・知人たちと繋がることができています。本も読みますが体力的に長時間続けることは困難です。私は怠惰ですから、もしもタブレットがなかったらテレビを観るだけの生活になっていたことでしょう。そうそう、タブレットで読むことができる本が多数ありますし、Twitterで興味深い書物に関する情報を得てはその内容に触れ、読みたくなるとネットを介して注文して届けてもらいます。昨年は、久世濃子著「オランウータン」、國分功一郎著「中動態の世界」、伊藤亜紗著「どもる体」、同「目に見えない人は世界をどのように見ているか」、その絵本版であるヨシタケシンノスケ作「みえるとかみえないとか」、ジョージ・ボージャス著「移民の政治経済学」などを、身体の不自由を抱えながらも意欲を駆り立てられて楽しく興味深く読みました。そして読書感想をブログやFacebookで紹介もしました。
病気になる以前から、牧会・伝道のためにHPとブログ、そしてSNSを組み合わせて用いてきましたが、病後はその用い方に力を入れるようになっています。ことに、キリストに招かれた者たちの教会ならではの交わり、つまり、聖書の言葉を囲んで交わすユーモアを含む楽しい会話をSNSを介してできるようになったら良いなあと願っています。それにはTwitterが適していると感じています。

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ヤコブ書1章2〜4節のまとめ(その1)試練と試されること、そして忍耐。

Twitter上でのシリーズ・ヤコブ書探索がやっと1章の4節までたどり着いたので、「まとめ」の第2回目として3-4節を一文にしようと考えましたが長くなりそうなので、前節との繋がりを考慮して2ー4節とし、2度に分けることにしました。

☆ 過去の投稿

第1回、1章1,2節を眺めてみると


3、4節は明らかに一息で綴られており、2節の「試練をこの上ない喜びと思いなさい」(新共同訳)との意味深長な勧め、その真相へと道案内しています。

しかし、十全に日本語に訳出することは難しいだろうなと思わされます。語の持つイメージや、それらの巧みな組み合わせによって文章が綴られているからです。そのことを申し上げた上で、二つの翻訳をご紹介します。

最初は新共同訳聖書です。

2 節) わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。
3節) 信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。
4節) あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります

スッキリした立派な日本語です、力のこもった勧告となっていますが、スッキリしすぎているように思われます。

次に永井直治訳「新契約聖書」です。これは可能な限りの直訳で、テキストが醸し出す香りを聞くことができるようにとの思いと労とが注がれています。

2節)我が兄弟よ。汝等さまざまの試みに陥るとき、すべてこれを喜びと勘ふべし。
3節)[これ]汝等の信仰の 験(ためし)は、耐え忍を醸すことを知ればなり。
4節)されば汝等の完く且つ圓(つぶら)にして、少しも缺くるところなき者たらんために、耐え忍びをして完く働かしめよ。

永井訳は2節と3、4節との関連をよく訳出しています。また、直訳を試みているのでよく似た語であっても原文に異なった語が用いられている場合は訳語を変えています。同時に、訳語が十分に適切かどうかは別として、原文に記載されている語をくまなく拾い上げています。大変な労作だと思います。

さて、それではいよいよ3節に足を踏み入ることにしましょう。(日本語テキストとしては永井訳を参照します。)

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1月20日の週報4面です。教会facebookに紹介しました。

明日の日曜日は10時15分から主日礼拝です。創世記37章のヨセフ物語の出だし箇所に心をとめて、イエス・キリストを仰ぎ、神さまを賛美します。下記は明日の週報の4面に載せていただく予定の文章です。ヤコブ書探索は疲れますが楽しいです教会…

浜松元城教会さんの投稿 2019年1月18日金曜日

機関紙原稿の下書きを推敲しました

超高齢化と5G回線時代の教会

2019年は5G回線活用元年になることでしょう。無線WiFiが飛躍的に向上するようです。思い起こせば私がインターネットに触れるようになったのは1995年、アナログの電話回線によってでした。それからわずか20数年後の今、光ファイバーや無線4G 回線により、インターネットによるコミュニケーションがPCやタブレット、スマホの進化と相まってたいへん身近なものになり、私たちの生活に無くてならないものとなっています。そして更に5G回線です。生活の仕方に大きな変化がもたらされようとしています。

私は比較的早くPCに慣れ親しむようになり、インターネットともお付き合いしてきました。教会では当初はメール利用やHPの作成表示程度でしたが、今はもっと手の込んだ幅広いものとなり、FacebookやTwitterなどのSNS,そしてブログ等を組み合わせて牧会伝道のためのツールとして活用する時代となりました。文字のみならず、画像や音声や動画も取り込むという次第です。米国のある教派では5G回線時代を見据えてのことでしょうかVRの活用も視野に入れているとのこと。私の想像をはるかに超えています。

余談ですが、私の祖父は伝道者でしたが電話が一般に普及し始めた頃、教会にも導入したらどうかという意見に反対して、「連絡すべきことがあれば訪問すべきである。教会では訪問が大事である。」と言って頑と拒否しました。今では笑い話ですが、しかし、インターネットに関してはどうでしょう。抵抗感と警戒感があってせいぜいHP程度にという教会が少なくないと思います。しかし、かつての電話と同様に好むと好まざるとに関わらず、インターネット環境とその運用は誰にとっても身近なものとなり、教会においても重要なツールとして用いられるようになっています。同時に、それはありとあらゆる情報が渦巻くネット社会の危うさを背負うということでもありますから賢さが求められますし、ある意味、従来の教会文化が変化することをも意味しています。

私がネットを牧会と伝道のツールとして有効活用したいと思い、その思いがかつてよりいっそう強くなったのは、一昨年、脳出血に伴って左半身麻痺となり身体的に不自由を抱えるようになったからでした。自由に動き回れないのです。それで、入院当初から今に至るまでネットとタブレットが主な情報の収集と発信、つまり外の世界との交流に無くてならないツールとなりました。これは特殊事情ではないと思います。超高齢化社会をむかえて、様々な事情で私のような生活を余儀なくされる方々が今よりも多くなることでありましょう。しかし、スマホやタブレットに慣れ親しむことができれば、インターネットによって交わりを結び、社会的な交流を保つことが可能です。教会員の高齢化が進んでいる教会においても同様で、教会の交わりが保たれます。そういうわけですから、超高齢化と5G回線時代に、教会生活に関して、また伝道の取り組みについて新たなあり方が模索されなければならないと思います。

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善き力に、われ囲まれ

D.ボンフェッファーの詩による讃美歌21-469)「善き力に、われ囲まれ」です。

1 善き力に われかこまれ、
守りなぐさめられて、
世の悩み 共にわかち、
新しい日を望もう。

2 過ぎた日々の 悩み重く
なお、のしかかるときも、
さわぎ立つ 心しずめ、
みむねにしたがいゆく。

3 たとい主から 差し出される
杯は苦くても、
恐れず、感謝をこめて、
愛する手から受けよう。

4 輝かせよ、主のともし火、
われらの闇の中に。
望みを主の手にゆだね、
来たるべき朝を待とう。

5 善き力に 守られつつ、
来たるべき時を待とう。
夜も朝もいつも神は
われらと共にいます。

ヤコブの手紙1章1ー2節を眺めてみると・・・新年のご挨拶にかえて

Twitter上で教会のアカウントからヤコブ書探索と題してシリーズでささやき始めています。ギリシャ語テキストを眺めて、そこに用いられている語句を観察してみようという試みです。ヤコブ書は旧約聖書以来の知恵文学の流れを汲んでおり、言葉の彩にその特徴があるように思われますので、それを探索していこうと、少しずつ少しづつツィートしながら取り組んでいます。

まだ1章2節途中です。

手紙の差出人はヤコブです。主の兄弟で、エルサレム教会の指導者の名前が冠されています。宛先は、各地に点在する諸教会、キリスト者の群れです。

最初の書き出しが新共同訳聖書では次のように翻訳されています。

1節)神と主イエス・キリストの僕であるヤコブが、離散している十二部族の人たちに挨拶いたします。2節)わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。

さてここにはどのような言葉の彩が見られるでしょうか。

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近況と今年の一つの抱負

昨年のクリスマス主日礼拝(23日)から年を越して昨日(3日)まで、葬儀があったり訪問したりと何かしらあったとは言え、特に忙しかったというわけではありませんが、今日の朝は疲れています。年末年始に姉(75歳)、娘(年齢不詳)、息子夫妻が来て滞在してくれたからでしょうか。嬉しい日々でしたが、多人数に慣れていなかったからでしょう。疲れました。
さて、今年の抱負というか、取り組みたいと思っていることの一つは、超高齢化社会を目前に、教会の比較的若いご老人がたをはじめ、皆さんにスマホとタブレットを用いてインターネットに馴染んでもらうための取り組みをしたいと思っています。
昨年の病と入院生活、その後、療養しつつ務めさせていただいているの日々の経験から、インターネットでの繋がりの重要なこと・その有用性に気づきました。ことに今年から無線wifiの5G回線が普及しはじめますので、有効活用の幅が大きく変化していくと思われます。
礼拝のliveと動画の配信はすでに試行錯誤中で取り組みはじめていますが、インターネット会議ならぬ集会の開催、プレゼンテーションアプリを用いてのチャット風または回覧風の聖書黙想会などが開催できたらと目論んでいます。
手始めに上手に情報共有ができるようにTwitterに慣れ親しんでいただこうかと考えています。
主イエス・キリストに招かれて繋がる交わりの豊かさが超高齢化時代にもますます広がって行くことを願っています。

聖書の言葉を囲む会話、その広がりを求めて

ツィッターtwitter に教会のアカウントを設けたことは先にご案内しました。アカウントは浜松元城教会(@motoshiro21614)です。

ツィートは「呟き」あるいは「ささやき」です。多くの人に、ことに女性に愛されている白百合という讃美歌がありますが、ご存知のように主イエス・キリストのご復活が記念され歌われています。「百合の花、百合の花ささやきぬ昔を」と繰り返して歌われますが、教会のtwitterではその「ささやき」に包まれて何かを呟くことができたら良いなと思っています。

事始めにシリーズ「ヤコブ書探索」ということで、ツィートを始めました。新約聖書のヤコブの手紙の大きな特徴は、翻訳では分かりずらいのですが、言葉の彩りの豊かさにあると言われます。たしかにそうだと思います。それで語句を眺めてみよう、少しでもその彩りに触れることができたらというのがシリーズ「ヤコブ書探索」です。果たして思惑通りに行くかどうか??

新年を迎えて次のようなツィートをしました。