上海からの旅行者お二人が

本日、午前9時30分ころ、お二人の方が立ち寄られました。上海からの旅行者で浜松城に見物に向かう途中に教会があったので寄りましたと仰っておられました。

キリスト者のご夫妻です。上海の教会に出席しておられ来週の火曜日まで日本に滞在されるそうです。

中国から観光にたくさんの方々が来てくださっていますが、その中に、少なからずキリスト者がおられるはずだと思っていました。そのとおりで、今日はお二人にお会いすることができました。

めでたし、めでたし。

桜の舞とステファノの言葉

12日の聖書を読み学ぶ会はH姉宅で行いました。桜が綺麗に咲いていました。

使徒言行録7章44-45節を取り上げました。訴えられたステファノが最高法院で語りました。意味深長な言葉で注意深く味わう必要があります。桜の花びらが舞いながら散るような絢爛美があります。一つのことだけご紹介します。

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続きを書きました

ハイム・ラビン著「ヘブライ語小史」を少しずつですが、紹介を始めました。その三回目、第3章の紹介を個人ブログに書きました。

続きです・・「ヘブライ語小史」3章の紹介

細に微にいる詳細で多岐にわたる本章の内容部分は紹介できていません。紹介する力がないというのが本当のことですが、たいへん興味深いものです。ゆっくり味わうことにします。

ところで、訳者はヘブル語ではなくヘブライ語と表記しています。これは、東京神学大学の恩師、左近義慈先生のお考えを受けとめておられるのだと思います。左近先生は、だれが何と言おうと「ヘブライ語だ」と仰っておられました。

始業講演「雅歌は知恵文学か」

久しぶりに母校の入学式に出席しました。関係者が入学したので、お祝いと、励ますためにまいりました。

恒例の始業講演が小友教授によってなされました。講演題は「雅歌は知恵文学か」。講演者は、知恵文学、ことにコヘレトの研究で知られていますが、最近は雅歌研究に取り組んでおられたようです。

コヘレト研究では、イスラエルの知恵文学、つまりオリエントのそれではなく、旧約聖書を背景とした知恵の伝統のもとで正しく読むことができることを明らかにし、日本におけるコヘレト研究の新たな展開を導いてくれたのでした。このたびの講演では、雅歌もまた旧約聖書との関連から読まれるべきことを明らかにし、知恵の特色であるマーシャールの特徴を有していること、ことに謎解き(なぞなぞ)の書として正しく読み解く道が開かれるとお話しになりました。近代の啓蒙主義的聖書学が退けてきた寓喩的解釈が、今日の聖書学では取り戻されつつあるようです。

興味深い、面白い講演でした。

問うことは問われること

2日の こどもの礼拝 と おとなの分級 はマタイによる福音書27章15-26節でした。その直前11節にこんなやりとりが書かれています。

総督がイエスに、
「お前がユダヤ人の王なのか。」と尋問すると、
イエスは、
「それは、あなたが言っていることです」と言われた。

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インターネット教会は可能か

個人ブログに下記の書き込みをしました。今日、お会いした方からはっぱをかけられた、という話で、かつてのことを思い起こし今を考えさせられました。

22世紀に向かう84歳

さて、そこでお話をした内容の一つが「インターネット教会」についてです。インターネットで結びつく教会が必要ではないかということでした。

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たった2節だけでした

今週の「聖書を読み祈る会」で取り上げたのは使徒言行録7章37、38節のたった2節になりました。私の牧師生活でこのように短い箇所を聖書研究で取り上げるのは初めてです。

ステファノの演説です。モーセのことを取り上げて申命記18章15節の言葉は、命の言葉であるイエス・キリストの到来を語っていたのであり、荒野の集会(エクレシア=教会)こそまことの神の民であることが示されていると語っています。

この日は申命記の外観をながめる機会となりました。

永井訳「新契約聖書」 (3/19週報4面より)

いつか丁寧にご紹介したいと思っていたのですが、今日は、名訳と評される永井直治訳―個人訳の新約聖書-「新契約聖書」をご紹介します。

訳者は1890年(明治23)に明治学院神学部を卒業後すぐに日本基督教会浅草教会の牧師となった方です。1859年が宣教師渡来による日本伝道開始、プロテスタントの教会が設立されていくのが1870年代ですから、永井はまだ生まれたばかりの教会が生み出した牧師のお一人でした。

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代打で松城幼稚園卒園式に

3月15日(水)、ピンチヒッターで浜松教会関係の松城幼稚園卒園式に出席し、祈りの交読、祝祷をさせていただきました。

浜松教会は今春、牧師が交代するので、その日は牧師不在でした。それで、私が代わりに行かせていただきました。

立派な卒園式でした。子どもさんたちは立派でした。讃美歌も、聖書も、祈りも、挨拶も感謝の言葉も、みな暗唱しており元気な声で行っていました。たいしたものです。